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第4回 墓開遵行
「日本の姿に化けた侵略者」
2023年7月5日  墓開坂(官邸前)にて実施
動画公開日  2024年3月15日

1.   500年代の初めの頃、わ国日本は立派な王国を築いていました。

 そして何より、当時、わが国の唯一の道徳基盤であったのが、神道であります。

 なぜなら、当時は、祭政一致、神祀りと政治が一つ、でありました。祭政一致というのは、神の御前に出る真剣さで政治を行う、これが祭政一致でありました。

 … 日本は平和で安定した王国でありました。

 ですので、この15年ほど、神道の残っている破片を拾い集めてきました。

しんとう

2.   … 神道について、わかり易い根本の構造を教えます。

 一、天御中主神に対する強い畏敬の念を持っていた。

 二、神道には、偶像礼拝も、偶像そのものもありません。

 三、神道では、死、人が亡くなること、つまり死に関わることは「穢(汚)」と位置付けられています。- ですので、神道では「清め」ということが同時に非常に大事なものであります。

 四、祭政一致。… つまり、今のウェスタンバーのようになっている国会ではなく、神の御前に出る真剣さで政治を行う、これが祭政一致です。

 五、神道は、八百万の神々云々のものではありません。

 神道は、一神教であります。

あめのみなかぬしのかみ

けがれ

やおよろず

3.   しかし、552年に朝鮮の聖明王という者のところからその渡来族蘇我氏は、仏典という物、そして仏像という物を日本に持ち込んだ。そしてものすごい攻撃的になり、日本の王室に対し、これが非常に尊い教えだからこれを受け入れるようにと、攻めるようになった。

 … 仏教でもないそのものは、死というものが中心になっています。

 … 断りました。しかし、その百済からの渡来族は … 。

 … 蘇我氏が、物部の皆さん、そして、中臣の皆さん、そして大伴の皆さんをどんどん殺していったんです。

せいめいおう

そが

くだら

もののべ

なかとみ

おおとも

4.   そして、ものすごく痛ましいことに、そして、いつまでも赦されないことに、あの蘇我馬子とその一味の者たちは、592年に、崇峻天皇、わが国の第32代崇峻天皇陛下を暗殺しました。

 わが国日本の最後の天皇陛下です。

 表現し尽くせないほど極悪なクーデターです。

 当時、祭政一致の構造では、天皇陛下は身勝手なことはできませんでした。

 … あの蘇我の連中がわが国日本の王国を乗っ取ったのであります!

すしゅん

5.   そのわずか12年後に彼らは17条憲法というものをこの日本国民の上に敷きました。

 あの蘇我馬子が自分の姪である推古という女を … その王座につかせたのです。神道の道徳基盤から言えばとんでもない汚らわしさです。天皇陛下を暗殺した下手人どもが朝廷を乗っ取り、そして自分の姪である推古をそこ(王座)に着かせ、 … 推古の甥である厩戸が17条悪法を制定した。

 第1条、「平和を最も大切なものとし、争ってはならない。」。

 第2条、「篤く心から三宝を敬え - 仏、法典、僧侶。… 仏教に帰依しないで、何で曲がった心を正すことができようか。… 。」。あの殺し屋がこう書いている。

 第3条、「天皇の命令を受けたら、必ず謹んでそれに従え。」。

うまやど

あつ

いわ

6.   そして、らがもう一つ、この17条悪法に含める、その必要を感じたものがありました。つまり、10条に曰く、「心の怒り(憤り)を無くし、憤りの表情を捨てて、他の人が自分と違っても怒ってはならない。」

 不正が行われると、それに対する憤りを覚えることが、唯一に正しいものであります!

 日本にあるのは仏教ではない!死者カルトである!

 … その心の弱さを彼らは利用した。

 彼らには仏教の教えを尊ぶ心はさらさら無かった

 第2条「 … どの時代でもどんな人でも仏教を尊ばない者はない。」と書いている。これは著しい侵略精神である!

 … わが国日本に約1500年間、敷かれ、そして国民がこの鎖に縛られ、苦しめられ、死に突き落とされてきた。

7.   その同じ侵略者がこの今の日本の行政を背後から仕切る僧侶どもである。

 文部科学省が隠しています。はい、その理由をも近々説明します。

 「592」年 … 国民は号泣するようになります。場問号外7号裏面

 … に繋げます。最も具体的な一例を挙げます。

 我々(唯一の)遺族である娘たちに対し、攻めるように言いました。… 細かく読むと、(新宿警察署)刑事らの法的根拠は一個ずつ、崩れていきました。

8.   今も九州の方では土葬が主流です。

 彼を描写する上で、一つ、特徴を言います。非常に僧侶に似ています。あの刑事課統括係長の影山俊。

 (土葬を引き受ける葬儀業社を探していた) … 3月10日 …「やっと引き取れますので、手配をお願いします。」と、我々娘達二人が行きました。しかし、新宿警察署に行きましたら、あの刑事課の者達は「あっ、いやっ、もう、お父さんの亡骸は別のところに移す手配に入った。あんた達は引き取ることはもうできない。もうその手続きに入ったから、亡骸は別の所に移される。もうその手続きを止めることはできません。」。

 

 … 全部、あの後公開しました

 こうして、彼らは、我々のお父さんの亡骸を奪ったのです。

 その死者カルトの者たちが、我々の父の亡骸を奪ったのです!

1953年に茨城県結城郡で院長が誕生する少し前に僧侶どもが行った霊攻撃、及び、院長夫人に対し行った霊攻撃については「黎明時代」において詳述。

9.   この著しい大犯罪を、正義の王は見ておられた。

 そして、正義の王は、この大犯罪を受け、「もはや、十分である。」と仰せられた。

 そして、正義の王は、私たちの父に、本年3月に新しい肉体、そして、新しい命を、与えられました。実際に​、あの3月に、我々の父は、蘇りました。復活したのであります。

 1990年前に、頭蓋骨の町と呼ばれていたゴルゴタの丘の上で、わが主は、死そして黄泉に対して、完璧勝利をおさめられました。

 それが、黎明時代であります。

れいめい

よみ

10.  本年3月の、我々の父、ならびに母が死人の中から実際に復活した、つまり、復活の力をお持ちでおられる、主イエス・キリストの御力によって復活したという、この大奇跡とともに、黎明時代が始まった。

 約1500年間の僧侶どもによる日本侵略時代は終わった。

1.   500年代の初めの頃、わが国日本は立派な王国を築いていました。

 そして何より、当時、わが国の唯一の道徳基盤であったのが、神道であります。

 なぜなら、当時は、祭政一致、神祀りと政治が一つ、でありました。祭政一致というのは、神の御前に出る真剣さで政治を行う、これが祭政一致でありました。

 … 日本は平和で安定した王国でありました。

 ですので、この15年ほど、神道の残っている破片を拾い集めてきました。

2.   … 神道について、わかり易い根本の構造を教えます。

 一、天御中主神に対する強い畏敬の念を持っていた。

 二、神道には、偶像礼拝も、偶像そのものもありません。

 三、神道では、死、人が亡くなること、つまり死に関わることは「穢(汚)」と位置付けられています。- ですので、神道では「清め」ということが同時に非常に大事なものであります。

 四、祭政一致。… つまり、今のウェスタンバーのようになっている国会ではなく、神の御前に出る真剣さで政治を行う、これが祭政一致です。

 五、神道は、八百万の神々云々のものではありません。

 神道は、一神教であります。

 

3.   しかし、552年に朝鮮の聖明王という者のところからその渡来族蘇我氏は、仏典という物、そして仏像という物を日本に持ち込んだ。そしてものすごい攻撃的になり、日本の王室に対し、これが非常に尊い教えだからこれを受け入れるようにと、攻めるようになった。

 … 仏教でもないそのものは、死というものが中心になっています。

 … 断りました。しかし、その百済からの渡来族は … 。

 … 蘇我氏が、物部の皆さん、そして、中臣の皆さん、そして大伴の皆さんをどんどん殺していったんです。

 

4.   そして、ものすごく痛ましいことに、そして、いつまでも赦されないことに、あの蘇我馬子とその一味の者たちは、592年に、崇峻天皇、わが国の第32代崇峻天皇陛下を暗殺しました。

 わが国日本の最後の天皇陛下です。

 表現し尽くせないほど極悪なクーデターです。

 当時、祭政一致の構造では、天皇陛下は身勝手なことはできませんでした。

 … あの蘇我の連中がわが国日本の王国を乗っ取ったのであります!

 

5.   そのわずか12年後に彼らは17条憲法というものをこの日本国民の上に敷きました。

 あの蘇我馬子が自分の姪である推古という女を … その王座につかせたのです。神道の道徳基盤から言えばとんでもない汚らわしさです。天皇陛下を暗殺した下手人どもが朝廷を乗っ取り、そして自分の姪である推古をそこ(王座)に着かせ、 … 推古の甥である厩戸が17条悪法を制定した。

 第1条、「平和を最も大切なものとし、争ってはならない。」。

 第2条、「篤く心から三宝を敬え - 仏、法典、僧侶。… 仏教に帰依しないで、何で曲がった心を正すことができようか。… 。」。あの殺し屋がこう書いている。

 第3条、「天皇の命令を受けたら、必ず謹んでそれに従え。」。

 

6.   そして、彼らがもう一つ、この17条悪法に含める、その必要を感じたものがありました。つまり、第10条に曰く、「心の怒り(憤り)を無くし、憤りの表情を捨てて、他の人が自分と違っても怒ってはならない。」

 不正が行われると、それに対する憤りを覚えることが、唯一に正しいものであります!

 日本にあるのは仏教ではない!死者カルトである!

 … その心の弱さを彼らは利用した。

 彼らには仏教の教えを尊ぶ心はさらさら無かった。

 第2条「 … どの時代でもどんな人でも仏教を尊ばない者はない。」と書いている。これは著しい侵略精神である!

 … わが国日本に約1500年間、敷かれ、そして国民がこの鎖に縛られ、苦しめられ、死に突き落とされてきた。

 

7.   その同じ侵略者がこの今の日本の行政を背後から仕切る僧侶どもである。

 文部科学省が隠しています。はい、その理由をも近々説明します。

 「592」年 … 国民は号泣するようになります。

 … に繋げます。最も具体的な一例を挙げます。

 我々(唯一の)遺族である娘たちに対し、攻めるように言いました。… 細かく読むと、(新宿警察署)刑事らの法的根拠は一個ずつ、崩れていきました。

                               

8.   今も九州の方では土葬が主流です。

 彼を描写する上で、一つ、特徴を言います。非常に僧侶に似ています。あの刑事課統括係長の影山俊。

 (土葬を引き受ける葬儀業社を探していた) … 3月10日 …「やっと引き取れますので、手配をお願いします。」と、我々娘達二人が行きました。しかし、新宿警察署に行きましたら、あの刑事課の者達は「あっ、いやっ、もう、お父さんの亡骸は別のところに移す手配に入った。あんた達は引き取ることはもうできない。もうその手続きに入ったから、亡骸は別の所に移される。もうその手続きを止めることはできません。」。

 

 … 全部、あの後公開しました

 こうして、彼らは、我々のお父さんの亡骸を奪ったのです。

 その死者カルトの者たちが、我々の父の亡骸を奪ったのです!

9.   この著しい大犯罪を、正義の王は見ておられた。

 そして、正義の王は、この大犯罪を受け、「もはや、十分である。」と仰せられた。

 そして、正義の王は、私たちの父に、本年3月に新しい肉体、そして、新しい命を、与えられました。実際に、あの3月に、我々の父は、蘇りました。復活したのであります。

 1990年前に、頭蓋骨の町と呼ばれていたゴルゴタの丘の上で、わが主は、死そして黄泉に対して、完璧な勝利をおさめられました。

 それが、黎明時代であります。

10.  本年3月の、我々の父、ならびに母が死人の中から実際に復活した、つまり、復活の力をお持ちでおられる、主イエス・キリストの御力によって復活したという、この大奇跡とともに、黎明時代が始まった。

 約1500年間の僧侶どもによる日本侵略時代は終わった。

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